虫を彫る「杜虫然(もりちゅうぜん)」とは
1967年、杜虫然氏は水木しげる氏のアシスタントとなり、細密画を学ぶ。下の写真は虫然氏の描いた細密画であるが、その画風は水木しげる氏の作品を彷彿させる。

虫然氏はアシスタントを辞め、故郷に戻ったときに、地元の仏師と知り合う。知り合うきっかけとなったのが、土曜会という若いアーチストたちの会合である。今風に云えばワークショップが当てはまるかもしれない。その土曜会とは地元の詩人である高橋元吉氏が、自身の経営する書店を解放し、詩、音楽、絵画、彫刻などの新進気鋭の芸術家を集い、自由に討論させる場であった。当時は、このようなパトロン的な存在がいることで、芸術が育まれていた。日本も文化を真面目に模索する時代だった。その会合に虫然氏が参加し、地元の先輩である仏師と知り合い、彫刻の道へと誘われる。

たもの。色はアクリル絵の具を使っている。このほかにも越前和紙を使ったランプなどにも挑戦している
幼い時から絵だけではなく、彫刻にも興味を持っていたこともあり、二つ返事で彫刻の道に進む。虫然氏は先輩仏師により、技術だけでなく、心得や知識を学ぶことになる。プロの仏師になるには技術はもちろんだが、彫る対象物に関連した学問も習得しなければならない。それは、解剖学や骨相学など、多岐にわたる。また三十二相八十種好などの形式的なことから、アミニズム的な仏教哲学も理解しなければならない。しかし本来、仏教との接点の多かった虫然氏が、仏像を寺社に納めるほどになるには時間は掛からなかった。そして名前を木黙とする。


杜虫然氏のホームページ





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