いつかの映画少年 極私的映画感  vol.3『ファニーとアレクサンデル』

路地裏の映画少年
ファニーとアレクサンデル イングマール・ベルイマン(1982)

 よく世界三大○○という括(くく)りで話題にすることがある。世界三大夜景や世界三大瀑布、世界三大都市など。どれも自分の地元のものを1つ入れるが、世界三大美女に小野小町はあまりにも無理があるような気がする。

 その括りは映画界にもあり、世界三大映画祭が有名だけど、個人的趣味に左右されるのが、世界三大映画監督。人それぞれではあるが、一番多いのが、黒澤明(この時点で日本での話になってしまうが)、フェデレコ・フェリーニ、そして本作のイングマール・ベルイマンである。その3人でもっともとっつきにくいのがベルイマンだろう。

 難解なベルイマンであるが、初期のころは宗教観はあったものの、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』などは、映画歴の浅い観客にもわかりやすくもあった。それが、その後の『ペルソナ』『叫びとささやき』など、観念的な映画になると、そう簡単には理解できなくなった。この頃をベルイマンの円熟期とされているのだが、=(イコール)難解という形になってしまったのも仕方ない。ベルイマンと言えば、「神(信仰)の沈黙」がテーマだが、どうもパートナーであったリヴ・ウルマンの出演している映画は難解なものが多いような。より、本質的なことを演出できる関係だったのかもしれないが、狭い世界での設定が舞台のようで、映画としてはより精神的な世界に深く入り込んでいるような気がする。同じスウェーデン出身の大女優イングリッド・バーグマンの遺作となった『秋のソナタ』も、名画座で鑑賞時は寝てしまった(三本立ての功罪ではあるが)。後ほど、DVDで鑑賞したが、やはりピンとは来なかった。そんなベルイマンだが、本作と『第七の封印』は自分にとっては後世に残すべき傑作であると思える。それはベルイマンという括りではなく、映画という世界でも記憶に深く刻まれた作品であった。

 有名な話だが、本作はテレビ放映用に作られた超長編で、311分という桁違いの作品だった。そのため、最初は188分という短い(それでも十分長いが)映画として劇場公開された。しかし幸いなことに、初見の名画座では、オリジナルを鑑賞することができた。どこがカットされたのか興味深いが、休憩時間もある長編を観れたことはラッキーだった。
 前半と後半に分かれているのだが、前半はやや進行の緩やかな単調な物語ではあるのだが、スウェーデンの上流社会の煌びやかさを体験するには必要で、特に主役の一人であるアレクサンデルの感受性を認識するには重要。名画座ならば寝てしまうような展開なのだが、『秋のソナタ』での十分な睡眠時間が、集中力を持続できたことは感謝するしかない。そして後半にはベルイマンの「神の沈黙」以上の「神への怒り」に近い急展開が見事に反映された。この映画のタイトルの二人があまり目立っていないとの意見もあるが、やはり幼い二人の視線がベルイマンの「神への不信」であることが理解できる。

 ちなみにロードショー作品で休憩を体験したのはベルナルド・ベルトルッチの『1900年』。新宿の映画館で観たが、名画座とは異なり、なんか割得感があった。映画自体は一大叙事詩なので、あまり考えずに全編を鑑賞できた。わかりやすくもあったが、本作品と違い、強い印象は残らなかった。休憩時間の観客の所在なさ気な様子だけが記憶に残っている。

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